2014年 07月 05日
吉田ヤスヤ 写真展 境界のエクリチュール 本日最終日です。 |
吉田ヤスヤ 写真展 境界のエクリチュール 最終日となりました
本日18:00までとなります
吉田ヤスヤ様
ただいまこちらに向かっている状況です
展示は写真と言葉で形成されております
テキスト「境界のエクリチュール」
私はどれほど、気持ちを言葉に置き換えられているか。 私はどれほど、この世界を写し込められているか。
ショッピングモールのコーヒーショップ。大きなガラス窓の向こう側で、重力の隙間を探すように枝を広げる樹木を眺めていると、ある瞬間、それは反転して、空の裂け目の黒い傷であるかのように思えてくる。「(この世界に存在するすべての生き物という意味で)私たちはみな、内在する自己というエネルギーと外側にある他者としての重力の境界で形をなしている。また、その様は、すべて相似の関係にある。」そんなことが頭に浮かぶ。境界とは、はじめに存在するのではなく、多方からのせめぎ合いによって生じるもの。たとえば、人間が設けるあらゆる壁も、境界を可視のものとするための仮のものに過ぎない。私たちのこの姿でさえ、壁と同じように仮のものであり、本当の存在の証しは、自己と他者の間の不可視な境界によって定められるものではないか。そう考えるならば、境界の伸縮によってもたらされる生の意義と死の現象も容易に理解可能なものとなり、存在の本質も見えてくるような気がする。私たちは、形あるものとして存在するのではなく、また魂のようなものとしてでもなく、まさに境界として存在するのである。光に満ちた空を背景にして広がる樹木が不意に見せる、その様のように。
銀塩モノクロ展示
28点
*展示写真はすべて販売致します
*ZINも部数限りありますが今回販売致します *一冊¥1000-となります
本日18:00までとなります
吉田ヤスヤ様
ただいまこちらに向かっている状況です
展示は写真と言葉で形成されております
テキスト「境界のエクリチュール」
私はどれほど、気持ちを言葉に置き換えられているか。 私はどれほど、この世界を写し込められているか。
ショッピングモールのコーヒーショップ。大きなガラス窓の向こう側で、重力の隙間を探すように枝を広げる樹木を眺めていると、ある瞬間、それは反転して、空の裂け目の黒い傷であるかのように思えてくる。「(この世界に存在するすべての生き物という意味で)私たちはみな、内在する自己というエネルギーと外側にある他者としての重力の境界で形をなしている。また、その様は、すべて相似の関係にある。」そんなことが頭に浮かぶ。境界とは、はじめに存在するのではなく、多方からのせめぎ合いによって生じるもの。たとえば、人間が設けるあらゆる壁も、境界を可視のものとするための仮のものに過ぎない。私たちのこの姿でさえ、壁と同じように仮のものであり、本当の存在の証しは、自己と他者の間の不可視な境界によって定められるものではないか。そう考えるならば、境界の伸縮によってもたらされる生の意義と死の現象も容易に理解可能なものとなり、存在の本質も見えてくるような気がする。私たちは、形あるものとして存在するのではなく、また魂のようなものとしてでもなく、まさに境界として存在するのである。光に満ちた空を背景にして広がる樹木が不意に見せる、その様のように。
銀塩モノクロ展示
28点
*展示写真はすべて販売致します
*ZINも部数限りありますが今回販売致します *一冊¥1000-となります
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by gallery_Limelight
| 2014-07-05 14:18
| 2014年写真展案内